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所在/京都府加佐郡大江町字北原
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「おだけいなり」と読む。大江山は「御嶽」と呼ばれていた。
稲荷が祀られたのは19世紀中頃の弘化年間で、それ以前、稲荷はなかった。
鬼嶽稲荷の名は、それ以降のことー。本来は、御嶽神社だった。 |
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鬼嶽稲荷神社/北原への道沿いにある鳥居 |
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大江山の主峰・千丈ヶ嶽の登山口にある |
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主祭神 |
稲荷大神 |
摂社 |
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと) |
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現在の鎮座地は大江山の八合目、頂上までは約1kmの場所で、海抜約610mのブナの原生林に囲まれた中にある。
昔、神社はもっと頂上近くにあったといわれ、大江山も「御嶽」と呼ばれていました。
社伝ではー、
往古、四道将軍として当地へ来た丹波道主命が、父、日子坐王の旧蹟に神祠を建立したと伝えている。
また、この一帯に修験の遺跡も多く残っており、本殿の右手にある小祠(はしくらさん)もその一つ。
社殿が現在地に移されたのは、19世紀中頃の弘化年間と思われ、この時、伏見稲荷大社の分霊を勧請し、鬼嶽稲荷と名を改めた。
以来、当地方の主産業であった養蚕の神、稲作の神として、農民達の篤い崇敬を受けて来た。(現地案内板)
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所在/京都府加佐郡大江町字北原
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熊野神社/北原 |
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祭神 |
ここでの祭神は確認できないが、
熊野神社(くまのじんじゃ)とは、
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の祭神の勧請を受けた神社である。
熊野詣の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまったことにより、全国に熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立した。
熊野三山の祭神は、熊野権現。
権現とは日本の神の神号の一つ。
日本の神々は仏教の仏が仮の姿で現れたものであるという本地垂迹思想に基づいた神号である。
歴史からから云えば、仏教の方が後だから、順序が逆である。 |
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熊野権現(くまのごんげん)は、熊野三山に祀られる神で、
熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社をいうが、
当初は別個の展開をたどり、本宮は崇神天皇代、速玉は景行天皇代(『扶桑略記』)、
那智は考昭天皇代に裸行が開基した(『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』)というが定かではない。
熊野権現の祭神は定かでない。
熊野神社そのものが仏教と習合した神社であり、
熊野本宮大社の主祭神の家都御子神(けつみこのかみ)は阿弥陀如来、
新宮の熊野速玉大社の熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)は薬師如来、
熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのふすみのかみ)は、千手観音とされる。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐(イザナギ)神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で、日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。(同じ神と思われる) |
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丹後の神社 |