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所在/兵庫県宍粟市一宮町能倉
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庭田神社/一宮 |
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祭神 |
事代主命 |
社伝 |
成務天皇(第13代天皇131年-190年)十四年二月十一日、神託によって社殿を建てて祀られたという。
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境内社 |
両大神宮社、
稲荷社、
荒神社
祇園社、
蛭子社、
五社五行神 |
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由緒 |
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古伝によると、大国主命が天乃日槍命と国土経営を争い給いし時、伊和の地に於て最後の交渉を終られ、大事業達成に力を合せられた諸神々を招集えて酒を醸し、山河の清庭の地を撰び慰労のため饗宴を為し給えり。
この地が、即ち、庭酒の里、現在の庭田神社奉祀の霊地なるにより 社殿を造営その御魂を鎮祭れりと云う。 |
然るに、当社安永縁起に成務天皇の御代に神託に依り、新に神殿を建て広く崇敬せらる。
延喜式の制小社に列し、江戸時代寛文十一年社殿改造、元禄十五年本殿屋根替、享保八年本殿屋根替、元文三年拝殿屋根替中略、明治四年本殿棟上再建、昭和四十三年五月敞殿改築、昭和四十九年十月拝殿改築現在に至る。
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事代主(ことしろぬし、言代主神) |
大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれた。
葦原中国平定で、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。
そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。
タケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちもは事代主に従って天津神に背かないだろうと言った。
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事代主(ことしろぬし)の正体はー |
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大国主とは、大国の主という意味で特定の人物ではなく、複数の人物を指している。
大国主の表示には、オオナムチの場合と、それ以外の人物を意味している場合がある。
播磨風土記で父と子の関係で現われるのは、オオナムチ(父)と火明命(子)である。
事代主(子)は大国主(父)と父と子の関係にある。
上の記述の大国主とはオオナムチであり、事代主(子)は火明命のことになる。
ただし、火明命は魂神であって実体ではない。
火明命◇◇◇とつづく後の記述が省略されている。
これを知っていなければ、神社の祭神の謎は解けない。
正確にはー、「天照国照彦火明櫛玉饒速日尊」と記されたものが省略されている。
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この神名の意味が分からなければ解けない。
これは、天照国照⇒彦火明=櫛玉(魂のこと=奇魂)=饒速日(ニギハヤヒ)尊、すなわち、実体はニギハヤヒである。
すなわち、事代主(子)とは饒速日(ニギハヤヒ)尊のことである。
さらに、聖書のノアにも比定されている。 |
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⇒伊和神社 |
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