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所在/兵庫県相生市矢野町
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「知恵袋」森村岩倉権現と記す。
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磐座神社 |
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祭神・大国主命 倉稲魂神 秦河勝
江戸時代に熊野三所権現、即ち、伊弉那美尊 速玉之男命 夜茂津言解命を勧請合祀した。 |
「磐座神社奥ノ院由来」 |
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龍王山南麓に、禅宗の龍王山円応寺という寺があった。
建武年間(1334〜1336年)に、僧玄素が開基。
享保年間(1716〜1736)に衰微していたのを当時の大庄屋兼祠官である小林六郎左衛門藤原重呆がこれを嘆き、磐座神社の境内(龍王山)に堂宇(建物)を新築して移転・安置し奥の院とした。
明治の神仏分離令により阿弥陀如来らの仏像を光専寺に預け奥の院(龍王山)の堂宇は破壊された。
明治42(1909)年、日露戦争後、政府は神社合祀を勧奨したので、龍王山にある大岩(神の降座石)の東側の岩陰に堂宇を新築して安置した。 |
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社紋・上り藤を図案化したものらしい。 |
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磐座神社
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神社背後の磐境 |
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磐座神社の背後にそびえる山が権現山(左)。
天から神が降りたという伝説上の巨岩があり、地元では、露出した巨岩を「天狗岩」と呼び、朝な夕なに拝んでいた。 |
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背後の山には磐座があり、三ツ星配置になっている⇒竜王山・権現山・東山 |
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