32太田八幡神社
(大避神社・合祀)
◆⇒案内図へ
Pトップに表示
所在地/宍粟郡作用町(旧・上月)仁位字上出口
合祀のため大避神社の痕跡は確認できない
国道脇の上り口

境内の別社
本殿両脇に淡島大神と白山稲荷が祀られている

淡島大神・白山稲荷
リンク⇒白山稲荷
淡島神(淡島明神)とは
様々な伝承があるが主な有力説は以下の三つ。

一つ目の説は「少彦名神」のことという。
少彦名神が医薬の神とされていることや、古事記や伯耆国風土記に、国造りを終えた少彦名神が、粟島(あわしま)から常世の国へ渡って行ったとする記述があるから。
多くの淡島神社がこの説を採っており、祭神を少彦名神、および、ともに出雲の国造りをした大国主としている。

二つ目の説は、「住吉明神の后」としたもの。
淡島神は
天照大神の六番目の子で、住吉明神に嫁いだが婦人病にかかり淡島に流されてしまった。そこで婦人病の人々を救うという誓いを立てたという。
これは、淡島(和歌山市加太の対岸の友ヶ島)が住吉神社の社領だったことから後世に附会されたものという「淡島神は女神だから女性を守る」という信仰は根強い。

三つ目の説は、日本神話に登場する「淡島」が淡島神であるとするもの。
国産みの段に、イザナギ・イザナミ二神の二番目の子として「淡島」が登場する。
しかし、一番目の子である蛭子と同じく、不具の子であった為葦の舟に乗せて流され、子の数には数えないとしている。
二番目と三番目の説は「舟に乗せて流された」という点が共通している。
少彦名神も神話における登場は舟に乗って海のかなたから来たといい、舟でやって来るという点では共通している。


◆⇒案内図へPトップに表示 ●ページTOPへもどる
inserted by FC2 system