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小豆島
所在/瀬戸内海中央部・香川県
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星ヶ城山
星ヶ城山
寒霞渓

星ヶ城山 ほしがじょうさんホキ山 標高817m
星ヶ城山は、瀬戸内海中央部、小豆島町(旧・内海町)の中央東部にある標高817m(東峰)の山で、西峰と東峰からなり、西側に日本三大渓谷美の一つ寒霞渓(三笠山)を有する。

南北朝時代に、南朝方の佐々木三郎左衛門尉飽浦信胤により築城した星ヶ城址、星ヶ城神社がある。 東西の両峰に、空壕・鍛冶場・水ノ手曲輪・烽火台などの跡が発見されている。

小豆島の歴史は神話時代に遡る。
日本書紀・国生神話に、阿豆枳辞摩(あづきじま)の記述がある。

古代から南北朝時代くらいまで、内海地区は草加部郷(福田地区は小海郷)、池田地区は池田郷と称され、古代王権中期の3世紀頃に応神天皇が小豆島を行幸し、各地に伝説が残っている。当時は、吉備国児島郡に属していたらしい。

平安初期から南北朝くらいまで、皇室御領として伝領された。
南北朝争乱のころ、備前児島の武将・佐々木信胤が南朝に呼応し星ヶ城にたてこもったが、細川氏に敗れ、細川氏がしばらくの間支配した。星ヶ城には今も城跡が残っている。

その後、豊臣時代を経て、徳川時代に内海地区は幕府の天領地として倉敷代官所に支配され、池田地区ははじめ天領地だったが、天保年間に津山藩の領地となった。

明治維新の廃藩置県で倉敷県に属したが、その後、明治4年香川県(第1次)⇒名東県(兵庫県の一部と徳島県)、⇒再び香川県(第2次)⇒愛媛県に合併されるなど所属が転々と変わったが、明治21年香川県(第3次)の所轄となった。
寒霞渓(神懸山)
小豆島町の北部にそびえ、南の内海湾に面した星ヶ城連山の一つ。
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神代の残像
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