所在/岡山県岡山市北区吉備津
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祭神 | 大吉備津彦命 |
相殿 | 日子刺方別命 倭飛羽矢若屋比賣命 千千速比賣命 大倭迹々日百襲比賣命 御友別命 若日子建吉備津彦命 中津彦命 日子寤間命 |
外陣 | 東笏御崎神(浦凝別命・鴨別命), 西笏御崎神(稲速別命・弟彦命) |
(日本書紀) 祭神・大吉備津彦命は、第十代崇神天皇の御代、朝廷に従わない遠国の平定のため派遣された皇族の四人・四道将軍の一人。 西道(山陽道)に派遣された大吉備津彦命は、美作・備前・備中・備後を平定し「吉備国」とした。 |
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(古事記) 第七代孝霊天皇の皇子・比古伊佐勢理比古命(大吉備津彦命)は、弟・若日子建吉備津彦命と協力して、吉備の国を平定した。 社伝では、その後、吉備の中山の麓に「茅葺宮」を造って住み、281歳の時、この宮で薨じ墓は中山山頂に造られた。 五代の孫である加夜臣奈留美命は、「茅葺宮」に社殿を建てたのが、当社の起源とされている。 |
●御釜殿 | |
⇒鳴釜神事 |
正式名を、中社吉備津神社と書かれている。 神社は三つで一つ。 上社と下社がある。 上社が、吉備津彦神社 下社が、新宮神社 |
⇒吉備津彦神社 | ⇒吉備津神社 |
⇒吉備中山(地図) | ⇒鬼ノ城 |
⇒吉備中山案内 |
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