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鬼ノ城
岡山県総社市鬼城山(きのじょうざん)標高397メートル

背後の山が鬼ノ城山系
市街地から見える鬼ノ城。

鬼ノ城は、古代の正規の歴史書には登場しないが、後世の文献である鬼ノ城縁起などにでてくる。
7世紀後半の朝鮮半島で、百済に援軍を送った大和朝廷は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗した。
唐の日本侵攻を恐れた朝廷は、瀬戸内沿岸・畿内に国土防衛の施設を築いた。
日本書紀などには、西日本の要所に大野城など12の古代山城(朝鮮式山城)を築いたと記され、
鬼ノ城もその防衛施設の一つであろうと推測されているのだが、どの歴史書の類にも一切の記載がなく、その真相は解明されていない。


鬼ノ城は、標高400〜600mの吉備高原の南縁に築かれている。
山の八合目から九合目にかけて、城壁が2.8キロにわたって鉢巻状に巡っている。
城壁で囲まれた城内は比較的平坦で、約30ヘクタール(9万坪)という広大なもので、4つの谷を含んでいるため、谷部には排水の必要から水門が6ヶ所に設けられ、出入口の城門が4ヶ所ある。
城内には、食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡やのろし場・溜井(水汲み場)もあり、
貯水池とみられる湿地が数ヶ所ある。
さらに未発見だが、兵舎・各種の作業場なども予測されるという。

伝承ではー、異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で、名を温羅(うら)という。
彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののき、「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた」。
これが、
温羅(うら)伝承と呼ばれる説話で、地名もこれに由来している。
詳細は⇒温羅の伝説


鬼城山の山中に、石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、1971年(昭和46年)に城壁の基礎となる列石が見つかり、古代山城と認識され、1986年(昭和61年)、国の史跡に指定された。
鬼城巨石MAP
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