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社伝によるとー、
推古天皇の御代、祭神・田道間守命の七世孫にあたる三宅吉士・中嶋の君が祖神を祀ったのが、当社の創祀。
一説には、持統天皇十五年の創祀とも、持統天皇十五年に更に造営があったともいう。
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田道間守命は、天日槍命の後裔で、当地に居を構え、安美谷を開墾した当地の開拓神とされる。
垂仁天皇の九十年二月、命を受けて、神仙秘境の「常世国」に「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰った神ともいう。
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戻った時には既に垂仁天皇は亡くなっており、天皇の御陵に「非時香菓」を献じて殉死した。
景行天皇は、これを哀れみ、垂仁天皇御陵そばに池の中嶋に田道間守命を葬られた。 |
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田道間守命が探していたのは「非時」、すなわち、不死の霊薬であったと思われるが、持ち帰ったのは橘である。
当時の最高級の菓子であったといい、ここから、田道間守命を菓子の神、菓祖という。
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祭神に関しては、中嶋の社号から市杵島姫命(中津島姫命)とする説や、大租・天日槍命を祀るとする説もある。
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