祭神 |
彦火々出見命
あるいは、日子坐王、
または、阿米美佐利命 |
由緒 |
但馬国随一の古社で、2000年以上の歴史があるとも言う。
和銅元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁)。
但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。 |
地名伝承 |
粟鹿の名は、昔、粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が粟三束をくわえ、村に現われ、人々に農耕を教えたという。その鹿を祀ったのが、当社である。
また、粟鹿山の荒ぶる神を祀ったともいう。
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祭神は、四道将軍の一人で、日下部連の祖、丹波道主の日子坐王とする説もある。
本殿裏側のこんもりとした丘が、日子坐王の墳墓という伝承がある。 |
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