◇◇
神明神社/犬飼
所在/姫路市香寺町犬飼
神明神社/犬飼字伊勢山/村社
祭神 天照大神
由緒 播磨鑑には白河法皇勧請を記すが、永禄九年、増井山東南有明山鎮座の天照大神を遷座したのに始まる。
境内社 竹之宮神社(不詳)
天満神社(菅原道真)
神社の配置から見ると、主祭神は詳細不明の「竹宮明神」である。

殿


















か?






主祭神に天照大神、境内社として天満神社・竹之宮神社(不詳)を記しているのだが、この配置が奇妙だ。
境内は長い石段の上にあり社殿は北向き、その社殿に祀られているのが境内社と記された「竹宮明神」だ。
社殿の脇からさらに階段を上った所に別の社殿があり、天照神はそこに祀られている。側に祠があり、たぶんそれが天満神社と思われる。
神社調書では、永禄九年に増井山東南の有明山から天照大神を遷座したのに始まるとしているが、ここの神社配置は、主神は竹宮明神
で、天照大神はまさに、上げ奉られている形だ。
さらに、別宮で祀られているのが稲荷神社で社殿は天照神の社殿と遜色ない。しかもこれは、調書に記されていない。
神社調書
播磨鑑伝承に云う。
南條郡の犬飼村は、昔は、沢村といった。
ここの農夫で提左助という者が人身御供の祭祀当番になり、神主も里の人も、一女のすげ・十三歳の少女を差し出せという。折りしも、伊勢の御師で芝左太夫という者が、左助の家に泊まっていたが、彼には愛犬がいた。
御師が(少女の)名代になって、笹の枝に四手をかけ、神主の頭山氏民部とともに夜の宮に参り集った。そして、御師を神前にさし置き、榊を取る伴御代わりと名のり、四方の戸を閉めて皆は帰った。
そのあと、彼は愛犬をつれて宮に籠もった。燈火ですかし見ていると、夜半を過ぎるころだった。風が激しく御戸を開き、一丈余りの大猿が一咬みにせんと挑みかかってきた。御師は伴の犬を追い、猿と犬が食い合ったが、ついに犬が猿をかみ殺した。
御師が刀で大猿の首を取ると、たちまち、狸と化したという。
これより、この御備えは止まった。
こののち、伊勢雨宮を祀り氏宮とあがめ奉ったのだが、この時の犬を飼ったという故事から、沢村を更めて、犬飼村と号するようになった。
<注>

播磨の地域で南条郡の地名は残っていない。
南條郡は、福井県にある郡だが、福井県の南条郡には犬飼という村はない。
また、犬飼という名の村は、大分・青森・長野県などにあるが、南条郡という郡はない。
『播磨鑑』(はりまかがみ)は江戸時代の地誌で、宝暦十二年(一七六二年)頃の成立とされる。 著者は、平野庸脩(ようさい)、播磨国印南郡平津村(現・加古川市米田町平津)の医者で暦算家だった。
神社伝承
背後の伊勢山麓に伊勢大かみ神が神馬で飛来せられたと伝える馬蹄の跡があったが、明治三〇年ごろに石の切り出しを行って今はない。
竹宮明神とは?
不明とされる。
山田町に同じ名前の神社がある。
山田/竹宮神社

神社全景

⇒広域地図


PAGE-TOPへ
市川流域の神社
inserted by FC2 system