賀野神社
所在/兵庫県姫路市(旧・飾磨郡)夢前町山之内戊
賀野神社




祭神 伊邪那岐(イザナギ)命
・伊邪那美(イザナミ)命、
・保食神(うけもちのかみ)⇒保食神とは
由緒 神社伝承によればー、
その昔、応神天皇が各地を巡幸された際、しばらくこの地に御逗留になった。
ある夜、白髪の翁(おきな)と媼(おうな)が夢枕に立ち、
「わたし達は伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冊神(いざなみのかみ)である。
保食神(うけもちのかみ)と共に、この山に祠を建てて祀れば百姓は豊かになって
国も栄えるであろう。
「祠を建てる場所は、鉾を建てておく」と語った。
目を醒まし、早速、調べてみると山上に鉾が立っていた。
そこで播磨の臣下達に命じて祠を建て、伊弉諾神、伊弉冊神、保食神の三神を祀り、
幣(ぬさ)を奉った。
それでこの山を、鉾立山(ほこたてやま)または幣丘(みてぐらのおか・ぬさおか)と
呼ぶようになったという。
法道仙人伝承
別説に、法道仙人伝承がある。
推古天皇代、法華山より法道仙人が来山し、洞が岳(ほらがだけ)に登って
修行し、仏像を刻みお堂を建てた。
山上の祠は険しくて道も遠く、人々の参拝に不便であろうと、現在の地に神殿を建てて祀り、社を「雪彦山大権現」、寺を「雪彦山金剛鎮護寺」と称したともされる。
保食神
保食神(うけもちのかみ)とは、『日本書紀』の神産みの段十一書の一書にのみ登場する神だという。

天照大神が月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。
月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。
月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を
斬ってしまった。
それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。
それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったと云う。

天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。
天熊人がこれらを全て持ち帰ると天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
『播磨鑑』に、
「応永の此山内某此山にて白蛇に逢、告有て即白山宮を移し勧請すと也 
即白山三所権現と云、伊弉諾、菊理姫、大己貴命也」と記されている。
ここでは、保食神が大己貴(オオナムチ)命に比定されている。
口から米飯を吐き出したという話が、播磨風土記のオオナムチが米粒をこぼした逸話とよく似ている所から比定されたものかー。
神社背後の雪彦山
雪彦山とは、
鉾立山(ほこたてやま・662M)、洞が岳(ほらがだけ・884M)、
三辻山(みつじやま・915M)の三山の総称で、一般に、洞が岳を「雪彦山」と呼ぶ。

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