大避神社
 所在/兵庫県赤穂市坂越
主祭神
大避大神、
天照皇大神、
春日大神

創建は大化三年(六四七年)頃とされる
6世紀後半から7世紀半ばにかけて大和王権で秦氏の頭領・太秦として活躍した秦河勝が祀られている。
毎年、十月第二土曜日に例祭・
日曜日に船渡御祭が行われる。
対岸の生島に秦河勝の墓があり、生島への渡島は禁じられている。
船渡御祭のみは、一般人の渡島が許可される。
大避神社は大酒神社とも記し、京都右京区の太秦にある。
京都の大酒神社の祭神は、秦始皇帝・弓月王・秦酒公が祀られている。
大避神社由来によればー、
大避神社は元名を
「大辟神社」と記したという。
の文字を使った理由は、弓月君の孫の「秦公」を祀ったのでに変えたとしている。
の文字を使い始めたのは、つい最近のことらしい。
当用漢字にない為だろうが、歴史を分かりにくくする一因になるだろう。
妙見寺
 所在/兵庫県赤穂市坂越
大避神社の上にある真言宗の寺。
寺伝によればー、
八世紀中期、行基を開山として創建されたという。

当初、この観音堂は妙見山(背後の山・別名・宝珠山)山頂に建てられていたが、1659年に台風で半壊したために中腹の現在地(龍泉坊跡地)に移建された。
山内には児島高徳の墓がある。

阿波切幡寺
この寺の上から宝珠山山頂を巡って四国八十八ヵ所石仏街道があり、八十八所の石仏が建っている。
この石仏は、現実にある四国の八十八ヵ所を正確に再現している。
四国八十八ヵ所の寺からは、剣山は見えない。

だが、10番札所・阿波の切幡寺からのみは、剣山山系の山が見えるが、ここの10番・阿波切幡寺の石仏からも宝珠山頂上が見られる。
さらにもうひとつは・・・。
宝珠山


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