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年表 氏姓制度 大宝律令
日本史年表
旧石器時代 =更新世=氷河時代(期) 打製石器
新石器時代 約1万200年前〜2300年前、弓矢の出現・磨製石器の出現・縄文土器の出現。
縄文時代 弓矢の出現・磨製石器の出現・縄文土器の出現
交易状況を物語る物・・黒曜石:長野・熊本・北海道などが産地
   ヒスイ:新潟県姫川流域
   貝塚・・縄文人のゴミ捨て場
     大森貝塚・・1887年、モ−スが発見した貝塚
     アニミズム・・自然などに霊魂があると信じる信仰
     土偶・・生殖・収穫などを祈るために作られた土人形
     屈葬・・縄文人の埋葬形式
     アルタイ語・・日本語・ツングース語・モンゴル語などの系統の総称
弥生時代 弥生土器・・薄くて硬い・赤褐色
青銅器と銅器が同時に伝来
  銅剣・・・・・・瀬戸内地方に普及
  銅戈・銅矛・・・・九州北部に普及
  銅鐸・・・・・・・近畿地方に普及
米作りの普及から外敵から守るための組織作りから次第に身分・貧富の差がでる。
様々な墓
 支石墓・・地上に大石を配す。九州北部。
 土壙墓・・方形周溝墓・甕棺墓・墳丘墓
集落
 環濠集落・・外敵から防御するため溝で周りを囲んでいる。
 唐古・鍵遺跡・・・宣告時に描かれた楼閣の絵で有名な奈良県の遺跡。
            日本最大級の環壕集落。

B.C.108 漢が楽浪郡を朝鮮に設置
      倭人が定期的に使者を送る。「漢書」地理志
A.C.57 倭の奴国王が後漢に使者を送り、光武帝より漢委奴国王の金印。
      福岡志賀島で発見。
2世紀   邪馬台国の女王卑弥呼を盟主に倭に連合国ができる。
239年  女王卑弥呼が魏に使者を送り、帯方郡より返礼の使者が来て
       親魏倭王の称号と銅鏡をもらう。「魏志倭人伝」
266年  邪馬台国の女王・壱与らしき人物が晋に使者を送る。
       ★邪馬台国の身分制度・・・大人と下戸の2つに分けられる。
大和時代
(古墳時代)頭
3世紀後半〜4世紀初頭
 古墳の登場 ・・円墳や方墳、そして( 前方後円 )墳など
 ★朝鮮と倭
 朝鮮半島の情勢
 北部の馬韓から高句麗へ、辰韓から百済・新羅へ。      
 倭の朝鮮拠点・・伽耶=任那
●倭の5王・・讃・珍・済・興・武(=雄略天皇)
●大和朝廷の仕組み  大王の下に氏姓制度
●太占の法・盟神探湯の習慣
479年  雄略天皇死去。
507年  大伴金村が越前より男大述王を迎え、継体天皇として即位。
513年  五経博士が来日して儒教を伝える。
527年  筑紫国造、磐井の反乱。
538年  百済より仏教伝来(仏教公伝)
552年  百済より仏教伝来(日本書紀)
      仏教をめぐり蘇我氏と物部氏の死闘開始。
      蘇我稲目ー物部尾輿(反仏教)
587年  蘇我氏ー物部守屋、結果は物部氏滅亡。
飛鳥時代 592年   蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺。推古天皇が即位。
593年   聖徳太子が摂政になる。四天王寺建立。
596年   蘇我氏の寺・飛鳥寺=法興寺建立。
600年   法道仙人伝承の始まり
602年   暦の伝来(観勒)
603年   冠位十二階制度。太秦(うずまさ)に広隆寺が建立。
604年   憲法十七条の制定。
607年   小野妹子らが隋に派遣。法隆寺建立。
608年   第1回遣隋使派遣。高向玄理・南淵請安・旻などが留学。  
620年   聖徳太子と蘇我馬子が「天皇記」と「国記」を編纂。
622年   聖徳太子死去。▼蘇我蝦夷・入鹿親子の専横
643年   山背大兄王(聖徳太子の子)が蘇我入鹿に攻められて自害。
645年   大化の改新。中大兄皇子、中臣鎌足らにより蘇我入鹿が殺害(蝦夷は自害)
646年   改新の詔。・公地公民制・中央集権・戸籍・計帳を作り班田収授法施行
       ・全国統一的な税制の実施
663年   白村江の戦い。日本・旧百済連合軍が唐・新羅連合軍に大敗。
664年   国防のため北九州に水城をおき、太宰府の北に大野城を築城。
667年   近江京に遷都。
668年   中大兄皇子が即位し天智天皇となる。最初の令である近江令を制定。
        石油が越国で発見、燃える水。
669年   中臣鎌足、藤原の姓と大織冠を与えられる。その翌日に死去。
671年   天智天皇死去。
672年   壬申の乱。天智天皇の子、弘文天皇(大友皇子)が
       天智天皇の弟・大海人皇子に敗北し自害。
        飛鳥浄御原宮に遷都。
673年   大海人皇子が即位し、天武天皇になる。
       この時から天皇という名前が登場。
686年   天武天皇死去。
690年   持統天皇(天武天皇の后で天智天皇の娘)即位。
694年   藤原京に遷都。
697年   文武天皇(持統天皇の孫)即位。歌人・柿本人麻呂が活躍。
701年   大宝律令完成。
702年以降の遣唐使は「日本国使」と名乗っている。(日本の国号)
704年   この頃から僧の行基が社会事業で活躍。朝廷はこれを弾圧。
708年   銅銭・和同開珎の鋳造。
奈良時代 710年   平城京に遷都。 
712年   「古事記」を編纂。
713年   諸国へ風土記編纂を命じる。
720年   「日本書紀」撰上。
724年    聖武天皇即位。陸奥国に多賀城を築く。
727年   中国東北部の渤海国より使者が来日(以後滅亡まで34回)
729年    長屋王の変。藤原4兄弟の策謀により聖武天皇の子を呪い殺したとして天皇中心政治を目指す・長屋王は自害。
730年   薬師寺東塔、興福寺五重塔建立。
737年   藤原4兄弟、流行病で病没。
738年   皇族の橘諸兄と、吉備真備、僧の玄ムが重用される。
740年   藤原広嗣の乱。
741年   国分寺建立の詔。
743年   墾田永年私財法の発布。田畑の永久私有
745年   行基が大僧正に。大仏造りのため。
752年   大仏完成。藤原仲麻呂が権勢をもつ。
753年   唐から僧の鑑真和上来日し、律宗を伝える。
756年   光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺へ奉納。正倉院の初め。
757年   養老律令施行。
        橘奈良麻呂の変。橘、大伴一族の多数が刑死。藤原仲麻呂の絶頂期へ。
763年   道鏡が孝謙上皇に重用される。
767年    恵美押勝の乱。仲麻呂敗死。
770年   称徳天皇没。道鏡追放。光仁天皇即位で天智天皇系にもどる。
        万葉集できる。大伴家持らの編纂か。
781年   桓武天皇即位。
784年   長岡京に遷都。
平安時代 794年   平安京に遷都。
797年   坂上田村麻呂が征夷大将軍に。
802年   田村麻呂、東北に胆沢城を築く(蝦夷の平定)

804年   空海、最澄の入唐。
805年   最澄が天台宗を開く。
806年   空海が真言宗を開く。
819年   空海、高野山に金剛峰寺を建立。
823年   空海に東寺(教王護国)寺が与えられる。
828年   空海、庶民のための学校(綜芸種智院)を設立。

842年   承和の変。藤原良房が、伴健岑・橘逸勢らを謀反の嫌疑で流罪にする。
866年    応天門の変。応天門放火容疑で伴義男らが流罪に。
894年    遣唐使の廃止(菅原道真の建議)
901年   菅原道真が大宰権帥に左遷(昌泰の変)
907年   藤原時平ら延喜格撰上。
927年   藤原忠平ら延喜式撰上。

935年   承平の乱・関東・平将門の反乱。〜940年。
939年   天慶の乱・瀬戸内。藤原純友の反乱〜941年
940年    紀貫之の土佐日記。
966年   伊勢物語、蜻蛉日記(作者:藤原道綱母)など成立。

969年    安和の変。左大臣源高明が源満仲により大宰権帥に左遷。
        藤原氏の全盛期へ。
995年   藤原道長が政治の主役になる。
1017年  道長は太政大臣に。

1019年   刀伊の入寇。
       女真族(後に金や清を建国した民族)が九州北部に攻め込む。
1028年  関東で平忠常の乱が起きる。
1051年  東北で安倍頼時が反乱(前九年の役)。
1083年  東北で清原氏が内紛(後三年の役 )。

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