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播磨風土記14の丘
オオカミ 『播磨国風土記』飾磨郡伊和里の条に十四丘伝説がある。

大汝命(おおなむちのみこと)の子、火明命(ほあかりのみこと)は強情で行動も激しかった。
父神はそれを苦にし、子を棄てて逃げようとした。船を因達神山(いだてのかみやま)につけるとその子を水汲みにやり、帰ってこない間に船出してしまう。
水汲みから帰ってきた火明命は、船が出て行くのを見て大いに怒り、風波を起こして船に追い迫った。
父神の船は、進むことができず、船は座礁して沈んでしまった。
このとき、「琴」や「箱」や「梳匣(くしげ)」など、船から落ちた積み荷が流れ着いた所が、十四の丘の名前になったという。

因達神山(いだてのかみやま)・・・船を着けて置き去りにした山で、現在の八丈岩山(172.9m)が比定地とされている。

波丘・・・火明命が波を起こした場所という意味らしく、ここが岩礁だったと思われる。現在の名古山(42.3m)が比定地とされている。
船丘・・・現在の景福寺山(51m)が比定地とされている。
琴丘・・・琴が落ちた所で、現在の薬師山(45m)が比定地とされている。
箱丘(はこおか・筥丘)・・・箱が落ちた所で、現在の男山(59m)が比定地とされている。
匣丘(くしげおか)・・・梳匣(くしげ)が落ちた所で、梳匣とは古代の女性が櫛(くし)や髪飾りを入れていた箱のこと。比定地には、下手野の船越山(61m)と、東蒲田の鬢櫛山(びんぐしやま200.3m)の二説がある。

箕丘(みのおか)・・・箕が落ちた所で新在家の秩父山に比定されているが、この山は現在はほとんどすり潰されている。
甕丘(みかおか)・・・甕とは瓶(かめ)のこと。現在の神子岡山(38m)が比定地とされている。
稲丘(いなおか)・・・稲が落ちた所で青山の稲岡山(68.3m)が比定地とされている。
冑丘(かぶとおか)・・・冑(かぶと)が落ちた所で西延末の冑山(36m)に比定されている。
藤丘・・・藤が落ちた所で姫路市街の福中町の中あたりに比定されている。

沈石丘・・・石が落ちた所。比定不詳。
鹿丘・・・・鹿が落ちた所。比定不詳。
犬丘・・・・犬が落ちた所。比定不詳。
日女道丘・・・蚕が落ちた所で現在の姫路城のある姫山に比定されている。

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参考図書⇒姫の国の道標



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神代の残像/風土記14の丘
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