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岡山県の吉備中央町は、吉備高原の深い山間にある山上集落の一帯である。
ここに、イザサ王と名づけたご神体を祀る神社がある。
岡山吉備中央町案田の化気(ケキ)神社である。
化気とは、気比(ケヒ)→化気(ケキ)と変化したもので、祭神も敦賀の気比神社と同じ伊奢沙別(いざさわけ)命である。
この神社のご神宝に、「丈一尺八寸四分の鹿角」があり、それが「いさざ王」と呼ばれている。
神社の社紋は二つの鹿角(かづの)を組み合わせた図柄で、神社正面の瓦紋にもこの鹿角紋が飾られている。
イザサは、鹿で象徴されたものらしい。 |
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角鹿(つのが) |
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敦賀気比神社の敦賀(つるが)地名は、角鹿(つのが)から来たもの。
これが、鹿の角→鹿角(かづの)→角鹿(つのが)と変化した。
鹿角(かづの)はイザサの象徴となっている。
化気(ケキ)神社は、元は案田集落から東にある標高582メートルの本宮山にあったと云う。
付近には、やはり、本宮山から降りてきたという円城寺という一大仏教集落があり、この地域は元々は、高峯・本宮山を中心に開けてきた一帯らしい。
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秋田県の鹿角(かづの)市 |
黒又山 |
東北の秋田県に鹿角(かづの)市がある。
十和田湖に近い大湯ストーンサークルがある町で、ピラミッドという黒又山があり、その山頂に本宮神社がある。
本宮神社の社名は明治以降のもので、元は、薬師堂で薬師神社と名づけた神仏混淆の社殿だったらしいが、現在の祭神は大己貴命・誉田別命という。
この地名の鹿角(かづの)は、あるいは天孫降臨の古代、イザサから関係して付いた地名なのかも知れない。
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粟鹿神社の鹿 |
粟鹿神社 |
朝来市山東町・粟鹿神社の祭神は、彦火々出見(ほほでみ)命である。
この神社の伝承に、昔、粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が粟三束をくわえ、村に現われ、人々に農耕を教えたという。
この鹿を祀ったのが粟鹿神社であり粟鹿地名の由来といい、さらに、粟鹿山の荒ぶる神を祀ったともいう。
祭神の火々出見(ほほでみ)とは、火明命の別名である。
現われた鹿とは、火明命、つまり、イザサを指している。
ここで農耕を教えた鹿は神の豊玉(やさしい魂)だが、また、荒ぶる神をも祀ったとしている。
いずれも、火明命を祀っているのだが、ここで「荒ぶる神」とされているのが、別名イザサ王らしい。イザサ王とは、どうやら、火明命の荒ぶる魂であり荒ぶる神らしいのだが…、
では、本編冒頭の鹿ヶ壷に伝わったイザサ王の伝説とは、一体、何を意味したものなのだろうか…?
この謎を解くのは、読者のあなたにお任せしたい。
ヒントは、→神代の残像第五巻・謎の契丹古伝/第四巻・神代からの伝言 |
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