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雪彦山
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鹿ヶ壷の渓流は、背後の雪彦山山系の西斜面を流れているのだが、イザサ王の名は、この雪彦山の名に隠されている。
雪彦は、通常、「せっぴこ」と呼ばれているが、これを「ゆきひこ」と読めば謎は解けていく。
「ゆきひこ→幸彦」となれば、察しが付くだろう。そうだー、
幸彦(ゆきひこ)とは「さちひこ(幸彦)」であり山幸彦、つまり、日本神話の山幸彦のことであり、古事記の火明命のことなのだ。
だが、ここまで分かっても、ほとんどの方はこれ以上は進めないだろうー。
だが、話は簡単なのだ。
この火明命の別名が「イザサ」なのである。
これが分かれば、後が解けていくー。
この詳細は
→神代の残像/総伝・第七章気比大神の謎
伝説の「イササ(伊佐々)王」とは、火明命をベースにした説話になっているのだ。
だが、日本神話の山幸彦はヒーローとして描かれているし、記紀の火明命も国造りに貢献した人物として記されている。
だが、この伝説のイササ(伊佐々)王は民をいたぶる悪玉になっており、時の天皇に退治されている。
このギャプはどうしたことだろうかー?
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ヒヒ退治の話 |
西播磨・香寺町
神明神社 |
この伝説とよく似た骨子の伝説があるー。
岩見重太郎のヒヒ退治…、
人身御供にされる娘に化けてヒヒを退治した話である。
これが岩見重太郎で、戦国時代の武将・薄田隼人のこととされて有名だが、この話には元となる原本があったらしい。
西播磨・香寺町の神明神社の伝承では、ヒヒを退治したのは岩見重太郎ではなく、伊勢の神官になっているのだ。
神明神社は、元々は竹宮明神を祀る神社だったが、これに変わって勧請されたのが伊勢神宮のアマテラスだった。
元の竹(タケ)宮とはダケ神のことで、ダケ(嶽)神とは姫神である。
退治されたのは、「年老いたヒヒ」ではなく「年老いたヒメ」で、古くからの竹宮明神(姫神)のことだったのだ。
参照→姫の国への道標
神明神社がアマテラスを勧請したのは室町時代のことで、岩見重太郎の戦国時代より古い。
各地に残るヒヒ退治の話は、伊勢神宮の勧請話がベースになって、のちに色々と変化したもの・・。
つまり、古い祭神の姫神(悪者)を、新しい伊勢のアマテラス神(正義の味方)が退治したという設定だ。
話は伊勢神宮の宣伝話だったのかと思えるのだが…、ところがこの話は、そんな程度の薄っぺらな話ではないらしい・・・。
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播州地方には、もうひとつのイザサ王伝説が伝わっている。
伝説の場所は、安富町からは少し遠い。
姫路市東部の四郷町の麻生山である。
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